渋沢栄一

渋沢栄一は「日本資本主義の父」と言われた実業家であり、社会奉仕にも非常に熱心であり、民間外交の先駆者と言われ、1926年と1927年にはノーベル平和賞の候補にもなりました。

渋沢栄一の生い立ち

渋沢栄一は1840年に現在の埼玉県深谷市で生まれました。渋沢家は藍玉の生存販売と養蚕、米・野菜の農業を営む豪農であった。幼少期から読書に励み、聡明であったと言われるが、21歳の時には北辰一刀流の千葉栄次郎に入門して剣術に励んだ。その後、幕府を倒す計画を立て、父に勘当されて京都へ向かうが八月十八日の政変の直後であり、志士活動に行き詰まり、一橋慶喜に仕える事となった。そこから大蔵省へ出仕して活動し、退官後に官僚時代に設立を先導していた第一国立銀行の頭取に就任し、実業界で活躍していく事になります。

渋沢栄一の人物像

社会奉仕、社会活動に非常に熱心で東京慈恵会、日本赤十字社の設立にも関わり、教育では実学教育に力を入れ、現在の一橋大学、東京経済大学、二松学舎大学、国士館大学の設立も携わった。
「私利を追わず公益を図る」の考え方を持ち、同時代の実業家(岩崎弥太郎安田善次郎・住友友純・三井高福・大倉喜八郎・古河市兵衛)とは異なり、財閥も作らず社会発展に寄与しました。その社会奉仕、公共奉仕は高く評価され、現代でも尊敬を集める存在です。

渋沢栄一の偉業

偉業1.500以上の企業の設立に尽力
偉業2.子爵を授かっている
偉業3.第一国立銀行の初代頭取を務めた
偉業4.商法会議所(現:商工会議所)を設立
偉業5.日本における社会奉仕活動の先駆者

渋沢栄一の作品や名言

『論語と算盤』という作品を発表しています。またいくつも名言を残しており、今なおビジネスパーソンに大きな影響を与えています。

「富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。」
「自分が手にする富が増えれば増えるほど、社会の助力を受けているのだから、その恩恵に報いるため、できるかぎり社会のために助力しなければならない。」

などの名言を残しており、利益至上主義になりがちな昨今の資本主義にも警鐘を鳴らしています。

渋沢栄一のまとめ

渋沢栄一は激動の時代の中で財界の指導者や旗振り役、牽引役として活躍をしていました。また「私利を追わず公益を図る」の思想は現代の経営者にも大きな影響を与えています。

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