「徳川御三家」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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徳川御三家(とくがわごさんけ)

「徳川御三家」とは「将軍家に次ぐ地位の尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家」です。江戸時代において、本家将軍家の次に影響力や権力を持っていたと言っても過言ではないのがこの三家で、それは往年の大人気ドラマ「水戸黄門」にも顕著に表れています。今でも高齢者と会話をして、出身地を水戸や歌山と答えると冗談で「徳川御三家!」と言われる程なので、それぐらい有名なのでしょう。また、特に昭においてアイドルやスポーツに企業などで数々の「~御三家」が誕生した事からも、三人組にする業績を最初に始めたと言えるのではないでしょうか。そんな「徳川御三家」の解説となります。

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徳川御三家の意味とは

「徳川御三家」の意味は以下の通りとなります。
(1)徳川家康の第9子義直を祖とする尾州家、第10子頼宣の紀州家、第11子頼房の水戸家の三家。
(2)江戸時代に徳川将軍家に次ぐ地位を持っていた尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家の事。
(3)略した「御三家」も同義。
江戸幕府は初代将軍の徳川家康が江戸(東京)で開いてから約265年もの長期に渡って存続し地方にも絶大な影響力を誇り、その最たる例が徳川家で将軍家に次ぐ地位の三家であり、特別さ故に「徳川御三家」や「御三家」と呼ばれました。「徳川御三家」は、現在の愛知県の名古屋城を居城にする家康の第9子・義直を始祖とする尾州家(尾張徳川家)、歌山県の歌山城を居城とする第10子・頼宣を始祖とする紀州家(紀伊徳川家)、茨城県の水戸城を居城とする第11子・頼房を始祖とする水戸家(水戸徳川家)です。この「徳川御三家」は他の徳川家とは別格で、徳川家康の男系男子の子孫が始祖とする「親藩」の最高位であり、徳川姓を名乗れて三つ葉葵家紋の使用も可能と優遇されていたのです。本家である将軍家が有事の際は御三家から跡継ぎが出されるなど、補佐する役割を任されていました。因みになぜ長男や次男ではなく、第9子から11子までの三人であったかと言うと、子供達の多くは家康よりも早く亡くなり、また三男・秀忠は家康から嫌われていたのが理由とされています。よって必然的にこの三人が選ばれるしかなく、優先順位も第9子・義直の尾州家が最も上で、第11子・頼房の水戸家が最下位という位置付けでした。現在「徳川御三家」の子孫は、先祖が残してくれた遺産の恩恵もあって実業家等の様々な分野で活躍して社会に貢献しています。

徳川御三家の由来

「徳川御三家」の由来は残念ながら正確には判明していませんが、一説によると、室町時代の室町幕府で吉良氏・石橋氏・渋川氏を「御一家」と呼んだのが、江戸幕府では「御三家」や「徳川御三家」になったと言われています。

徳川御三家の文章・例文

例文1.徳川御三家と呼ばれるのは当時は誇りであり名誉な事で、それが様々な「~御三家」が誕生した理由だろう。
例文2.徳川御三家は有名な反面、徳川御三はあまり知られていないが、田安徳川家・一橋徳川家・清水徳川家の事だ。
例文3.徳川御三家の特徴として石高が多いのと、それぞれ江戸からの街道が整備され交通の便が良くなった点がある。
例文4.の時代は何かと徳川御三家を真似て何々御三家と呼ぶのが流行り、新人アイドルは新御三家や少年御三家と呼ばれた。
例文5.名古屋は別にしても、歌山や水戸など現在はあまり発展していない都市が徳川御三家に選ばれたのは、なかなか考えさせられるものがある。

「徳川御三家」の解説や現在に当て嵌めた例文となります。

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徳川御三家の会話例

  • 歴史が好きなら、徳川御三家も知っている?

  • 当然ですよ。徳川御三家それぞれの地を旅行で訪れた程の御三家好きですよ私は。

  • それは失礼しました。じゃあ、新御三家は知らないでしょう?

  • それが昭和歌謡曲も好きだから、実は知っています。野口五郎と郷ひとみと西城秀樹ですよね。

職場の同僚男女が、「徳川御三家」や昭アイドルの「新御三家」について会話をしています。

徳川御三家の類義語

「徳川御三家」の類義語には、「御三」「牛丼御三家」「三菱御三家」「住友御三家」などの言葉が挙げられます。

徳川御三家まとめ

「徳川御三家」は江戸幕府における将軍家に次ぐ地位の地方三家で、尾張徳川家・紀州徳川家・水戸徳川家の事です。これら三家は家康の実子9男10男11男を始祖として、他の徳川家よりも家紋の使用が許される等の例外的に優遇されました。現在は「徳川御三家」だからと特別な恩恵はありませんが、その子孫達は御三家の血を受け継ぎ様々な分野で活躍し飛翔しています。

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