「錦の御旗」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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錦の御旗(にしきのみはた)

大河ドラマ等で何度も舞台となる日本の歴史の転換点、幕末時代。新政府と旧幕府の戦いとなる戊辰戦争の初戦「鳥羽伏見の戦い」において決定的な働きをした「ある物」が存在します。
その「ある物」こそ、錦の御旗。ただの旗、されど侮るなかれ。このひと振りの旗によって、戦争が決してしまったのです。
そんな驚くべきアイテム「錦の御旗」の意味や由来について見ていきましょう。

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錦の御旗の意味とは

錦の御旗。
読み方は「にしきのみはた」で、略して「錦旗」(きんき)とも呼ばれます。別名「章旗」(きくしょうき)、「日月旗」(じつげつき)です。
錦の御旗は天皇軍(朝廷・官軍)の旗です。
錦の御旗は誰もが好き勝手に掲げていいものではありませんでした。天皇が「朝廷にたてつく敵=朝敵を討伐せよ!」と命じられた藩だけが掲げることができました。命を受けた藩は朝敵討伐の証として自前で錦の御旗をデザインし、掲げました。
なので、錦の御旗はデザインが決まっておらず、大抵は赤地の錦に金銀で日月を描いていたと言われています。
「勝てば官軍」という言葉もあるとおり、官軍は歴史の勝利者・正義とみなされます。このことから、錦の御旗は意味が転じて「自身の主張を権威づけするもの」という使い方もするようになりました。

錦の御旗の由来

錦の御旗の由来ですが、さかのぼると鎌倉時代、承久の乱に登場します。「後鳥羽天皇が官軍の大将にたまわった」とする説明が多いですが、実際には錦の御旗は軍旗というより「天皇の存在を示す旗」であり、武将に与えられることはなかった、とする見解もあります。
いずれにしろ、天皇側を示す旗として伝えられた錦の御旗が活躍するのは戊辰戦争の時です。鳥羽伏見の戦いにおいて、新政府側が錦の御旗を模した旗を掲げた瞬間、旧幕府軍は一気に戦意喪失。天皇の敵になってしまった!と慌てふためき、退却してしまったのです。錦の御旗がどのようなイメージを持たれていたのかが良くわかるエピソードですね。

錦の御旗の文章・例文

例文1.新政府軍は錦の御旗を掲げて精神的に旧幕府軍を打ちのめした
例文2.大河ドラマでは錦の御旗を掲げるシーンが最高潮に盛り上がる
例文3.勝てば官軍、錦の御旗を掲げて行進だ
例文4.戦争反対を錦の御旗とする
例文5.錦の御旗として貧困問題を掲げているが、あれは嘘っぱちだ
例文ではことわざの使い方も挙げています。自分にこそ大義名分がある、として掲げるのが錦の御旗です。

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錦の御旗の会話例

  • 錦の御旗を掲げた瞬間、勝敗が決まる、というのはいささか大げさなような気もします。

  • それほど、当時の人々にとって天皇の存在は絶対的だったんです。それに逆らった者たちの末路はことごとく悲惨でしたから。

  • なるほど。たてつけば必ず不幸になる、絶対的な存在というわけですね。

  • そういう意味では、現代社会の問題に置いても錦の御旗は存在するのかもしれません。

上記の会話では、歴史の出来事から現代の主義主張について話題が及んでいます。ただし、現代では意味が転じてことわざのようにも使われますが、実際に耳にすることは少ないかもしれませんね。

錦の御旗の類義語

錦の御旗の類義語は「武家の御旗」(公方御旗・御所御旗ともいう)が挙げられます。室町時代の将軍家足利氏のみが持つことを許された旗で、これも権威の象徴となりました。
ことわざの類義語でいえば「大義名分」「旗印」などがあげられます。

錦の御旗まとめ

錦の御旗の由来や意味について見てきました。
出所が古いゆえに、本来の意味と歴史の過程で出来上がったイメージは違っているかもしれませんが、新政府軍は錦の御旗をうまく用いた結果、戦争に勝利することができました。今後、歴史もののドラマを見る時には錦の御旗に注目したいところですね。

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