性悪説と性善説のイメージ

性悪説(せいあくせつ)

「性悪説」は「性善説」ほど頻繁に見聞きしませんが、「性善説」との対比という形で使われる事が多いですよね。意味は「人間の本性は悪」という「性善説」とは真逆になりますが、突き詰めると最終的には「性悪説」も「性善説」も同じ事を唱えていて、中身は同じとする主張も多いです。そんな「性悪説」について調べてみました。

性悪説の意味とは

「性悪説」の意味は以下の通りとなります。
 (1)人間は本来、悪であり弱い者とする説。環境や欲望に左右されるのが人間であり、場合によっては悪に走る傾向がある。
 (2)人間は本性としては悪であり、努力や知識を高めたり品性を磨くことで善の状態になる。
 (3)人の欲望を自然のまま放置すると社会を破滅させてしまうので、人間の欲望は悪であるとする「性悪説」、これに対して本質的に善であるが努力を怠るなとする「性善説」。
 (4)対義語「性善説」。
「性悪説」は「性善説」の反対であり、「人間の本質は悪」と説いています。しかし、そんなに単純なものではなく、「性善説」同様に解釈が難しいのも事実です。まず、「性悪説」とは「性善説」の後に、同じく中国戦国時代に誕生しました。当時は”善”に対する”悪”だが、”悪人”というよりも「心が弱い者」と理解されていました。ですから、「性悪説」とは「人間の本質は心が弱い」となります。心が弱いが故に善人になれず、時には悪い事もしてしまう。それが人間という生き物となり、現在の特に日本で横行する「性善説」は理想論であり、「性悪説」の「人間は悪い者」や「犯罪を犯す者」とはまったく違ってきます。より広く解釈するなら、努力をして知識を育むのが大事で、それが出来ない人もいるのが「性悪説」と説いています。この様に解釈すると、最終的には「性善説」も「性悪説」もまったく同じ事を説いていて、「努力すべき」となります。しかし、人間が本質的には弱いと説いた「性悪説」に共感される方も多いのではないでしょうか。それと、「性善説」は人間を信じる、「性悪説」は人間を疑うとする向きもありますが、これは現代で定着している誤用です。しかし、誤用でも定着しているなら頭ごなしに否定をするのも、また違います。中国で誕生した際には、人を信じる・信じないとは触れられていませんが、現在の法律が「性善説」によって作られ、その根底には人は”善”と信じる気持ちが込められているなら、「性善説」は人を信じるや信用する、反対の「性悪説」は人を信じないや不信も現代的な解釈の枠中に当て嵌まります。

性悪説の由来

「性悪説」の由来は、中国戦国時代の思想家・荀子(じゅんし)が孟子の「性善説」に反対して作り上げたものです。人間の性質は弱く、欲望に支配されやすい。だから礼儀を教え、教育が大事と説いてます。

性悪説の文章・例文

例文1.三日坊主など長続きできず意志が弱い時などは、性悪説が頭を掠めて言い訳を考えてしまう。
例文2.あおり運転が問題になると、性悪説などを主張する人もいるが、本質的には見当違いとなる。
例文3.性悪説の前提で法律が作られたら、それも大問題だ。
例文4.性悪説も性善説も間違って理解している人が大多数だ。
例文5.不法投棄などゴミを勝手に捨てる人は、性悪説が正しいと証明している気がする。

「性悪説」の解説的な例文となります。

性悪説の会話例

  • 質問者アイコン

    物騒な事件が増えてくると、性善説や性悪説を唱えてくる人がいるよね。

  • 回答者アイコン

    確かに多くなるね。ニュースでもお堅い評論家が人間の本質は悪いと、性悪説を熱弁するからね。

  • 質問者アイコン

    でも、犯罪が多いのと性悪説を結びつけるのは単純すぎませんか?

  • 回答者アイコン

    そうだよね。性悪説って、人間は弱いと説いている訳だから、その中には良い人も悪い人もいる。目立つ犯罪だけを表面的にみて、それが性悪説は短絡すぎるね。

「性悪説」と犯罪の関係性について、男女が会話をしています。

性悪説の類義語

「性悪説」の類義語には、「性善説」「玉石混淆」などの言葉が挙げられます。

性悪説まとめ

「性悪説」は「性善説」と何かと比較されますが、本質的には努力をするべきと促す意味ではまったく同じです。人間は本来弱い生き物で、欲望のままに生きると悪にもなるという意味を持つのが「性悪説」で、対する「性善説」は人間は本来は善であると説いています。

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