岩崎弥太郎

岩崎弥太郎は三菱財閥の祖であり、幕末・明治の動乱期を切り抜けた政商として莫大な財を成した偉人である。

岩崎弥太郎の生い立ち

岩崎弥太郎の生まれは1835年に今の高知県安芸市。当時の土佐藩の山内家に郷土として仕えていたが、祖父の代で郷土の地位を売り払い、地下浪人として過ごしていた。1854年に奥宮慥斎の従者として江戸に向い、見山塾で学ぶものの翌年父親が酒の席の喧嘩で投獄され、帰国。壁に墨で「官は賄賂をもってなり、獄は愛憎によって決す」と書き記して、投獄されてしまう。しかしこの時期の獄中で商人から算術や商法を学んだ事が商人としての岩崎弥太郎の基礎となったのである。

岩崎弥太郎の人物像

1881年に岩崎弥太郎の後ろ盾であった大隈重信が失脚した事で、翌年の1882年に海運を独占していた三菱商会をよく思わない井上馨・渋沢栄一らが三井財閥を動かし、大倉財閥の大倉喜八郎などが投資しあい共同運輸を設立して、岩崎弥太郎の三菱に対抗した。これに対して岩崎弥太郎は徹底したダンピングを行い、徹底抗戦をしました。この時の岩崎弥太郎の執念は凄まじいものがあり、その情熱は商人としての誇りがあったといくつもの書籍によって書かれています。

岩崎弥太郎の偉業

偉業1.三菱商会で海運業を牛耳る
偉業2.下級浪人から土佐藩の要職まで出世する
偉業3.日本で初めてボーナスを出した
偉業4.日本初の政商としての活躍
偉業5.時として強引な手法によるビジネスチャンスの拡大

岩崎弥太郎の作品や名言

岩崎弥太郎をテーマにした作品はいくつもあり、ドラマや映画などでも度々登場しますが、岩崎弥太郎が終生大事にした母・美和の家訓があります。

一、天の道にそむかない
二、子に苦労をかけない
三、他人の中傷で心を動かさない
四、一家を大切に守る
五、無病の時に油断しない
六、貧しい時のことを忘れない
七、忍耐の心を失わない

これらの言葉は岩崎弥太郎が商人として活躍する事がある中でも、必ず心していたと言われています。

岩崎弥太郎のまとめ

土佐藩時代から親しい友人として後藤象二郎がいる。この後藤の政府内での高い評価と働きもあり、岩崎弥太郎は政商としての力を大きくしていった。維新政府が作られて紙幣貨幣の統一化にの際には藩札を新政府が買い取る事を後藤象二郎を通じて事前に察知して、買占めを行い、莫大な利益を得た。またその一方で「国あっての三菱」という表現を好んで用いており、利益と同時に激動期の日本の発展・成長を願っていた。

この記事を読んでいる人に人気の記事