移りゆく季節に諸行無常を感じる

諸行無常(しょぎょうむじょう)

誰もが高校生の時に覚える言葉の一つに、諸行無常があります。「平家物語」の冒頭部分の部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」です。高校生の時には、深い意味よりも点数を取るための暗記で懸命になってしまうので、きちんとした意味や由来を知っているという人は、多くありません。ここではそんな「諸行無常」について、正式な意味合いと言葉の由来についてわかりやすく解説をしていきます。

諸行無常の意味とは

諸行無常とは「現実にある全ての事柄は、ちょっとした偶然でできた物でしかなく、日々変化するものである」という意味です。今あること自体がすでに偶然であり、永遠にその場所にあるわけではない、という言葉でもあります。「この世の全てが儚い」事を言います。

諸行無常の由来

諸行無常の由来は、元々仏教教理の三つの命題(諸行無常・諸法無我涅槃寂静)の一つです。仏教の経典に多く書かれています。「諸行」とは「世の中に出てくる全ての事物・現象」のことで、念仏以外の修業によって生まれたもの全てをいう言葉です。「無常」は言葉の通り、仏教で「(全てのものは)生まれたり変化したり滅びたりして、変わっていくこと」を指しています。二つの言葉を置くことで、全てのことは生まれても滅びて行く、人の世は儚いのだという意味を表しています。

諸行無常の文章・例文

例文1.年齢を重ねるに連れて落ち着いていくアーティストに、諸行無常を感じてしまう
例文2.付き合いをやめた恋人のことは諸行無常と思って忘れよう
例文3.昔遊んでいた公園が無くなってしまい、諸行無常を思う
例文4.諸行無常で永久のものは何一つないのだ
例文5.都市開発と昔の写真を比べると、諸行無常を感じる
諸行無常という言葉は、実際の喪失感と共に思う感情を示した言葉でもあります。そのためどうしても「諸行無常」を「感じる・思う」といった使い方が多くなります。また例文4の使い方をする場面は非常に限られてくるため、実際に使うことはほぼ無いと思っていいでしょう。

諸行無常の類義語

諸行無常の類義語としては、「万物流転」や「昨日の淵は今日の瀬」「一炊の夢」「盛者必衰」があります。どの言葉も、この世は儚くうつろいゆくものだ、常に変化してとどまることがない、という意味があります。同じ意味であれば諸行無常がもっとも馴染み深い言葉であり、親しまれている言葉と言えます。簡単な言葉としては「時を刻む」「むなしさ」も類義語です。

諸行無常まとめ

世の中の出来事はいずれは終わり、無くなり、滅んでいきます。しかし逆に言えばまた新たなものが生まれ、物事は進化していくとも言えます。なくなっていくこと、離れていくことは悲しいことですが、それは終わりではなく新しい始まりの一つなのです。

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