戦いに敗れても、風景は残る

国破れて山河在り

「国破れて山河在り」という言葉は、中学校や高校の国語や古文の授業で聞いたことがある人が多いのではないでしょうか。
現代においても時々耳にするこの言葉には、どんな意味や由来があるのでしょうか。

国破れて山河在りの意味とは

国破れて山河在りの意味ですが、まず「国破れて」とはかつての中国の都であった長安が破壊されてしまったことを表しています。つまり、都が戦乱によって滅ぼされてしまったが、山や川などの自然は変わらない姿でそこに存在しているということです。
そこから、世の流れの目まぐるしい転変と、ありのまま存在し続ける自然とを対比して、感慨深く言う言葉として用いられています。

国破れて山河在りの由来

国破れて山河在りは、中国唐代の詩人である杜甫(とほ)によって読まれた漢詩「春望」の冒頭部の一節です。原文では「国破山河在」と表記します。「春望」は「国破山河在」の後には「城春草木深」(城春にして草木深し)と続き、全部で四十字で構成された漢詩になっています。

国破れて山河在りの文章・例文

例文1.こんなのどかな村なのに、昔はここで戦争があったなんて信じられない。国破れて山河在り」だなぁ
例文2.山のところどころにかつての城跡が見られる。国破れて山河在り、か
例文3.トロイの遺跡には、国破れて山河在りをよく表す残骸が多い
例文4.国破れて山河在りのごとく、もし戦争が起こったらこの街も百年後には草木が生い茂っていることだろう
例文5.戦いに敗れても、この都はあり続けるだろう。国破れて山河在りとはならないはずだ
国破れて山河在りは、歴史的な建築物や遺跡を訪れた際によく口にする、または耳にすることが多いフレーズです。

国破れて山河在りの類義語

同じ意味というわけではありませんが、都が滅ぶという部分に関しては「栄枯盛衰」と共通する部分があります。「栄枯」は草木が茂ることと枯れること、「盛衰」は国が栄えたり衰えたりすることで、自然も人や国も栄えるときもあれば衰退するときもあることを意味しています。国破れて山河在りは国は滅んでも自然はありのままという対比を表しているので、その点では少し意味は異なっています。

国破れて山河在りまとめ

国破れて山河在」の意味は上記のとおりですが、あくまで戦乱や戦争等によって国や都が滅ぶことを指しており、自然災害による衰退の場合はこの言葉を使うのは適切ではありません。
なお、「国破れて山河在り」のフレーズは松尾芭蕉の「奥のほそ道」でも引用されています。興味のある方は是非調べてみてください。

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