「性善説」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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性善説(せいぜんせつ)

「性善説」は、犯罪が起きた際に現行法で対処できない、又は刑が軽い場合などに、ワイドショーに出演する弁護士が決まって弁明のように言う言葉ですよね。具体的には、保釈中の逃走は犯罪にならない。他にも、高速道路のあおり運転も犯罪としては軽いなどの問題で、これらも突き詰めると「性善説」が関係してくるのです。そんな現代社会には無理が生じてばかりの「性善説」について解説をします。

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性善説の意味とは

「性善説」の意味は以下の通りとなります。
 (1)人間は本来、善を行うとする説。元々善の端緒を持ち合わせているので、それを努力し発展させれば、誰もが善人・聖人になれるとする教え。
 (2)人間の本質や本性は基本的には善であるべき、善になるという儒教的な概念。
 (3)生まれながらにどんな人間も善であるとする「性善説」、対して悪い行為は物欲による後天的なものであるとする「性悪説」。
 (4)対義語「性悪説」。
人間は本質的には善であるという教えが「性善説」です。人間は良い人なので信じましょう、疑ってはいけません、この様な考えが世間での一般的な「性善説」です。人々には先天的に道徳的本性があり、努力などをする事により誰もが聖人になれると説いています。そして、この気持ちを忘れた者が、犯罪を犯すという考えです。現代流に解釈するなら、人間は誰もが良識や道徳心を持ち合わせた素晴らしい人で犯罪などは犯す必要がない。犯罪をするのは、善的な道徳心を忘れた場合のみとなります。しかし、「性善説」が難しいのは、あまりにも漠然として解釈が如何様に出来てしまう点です。人間が善なら、何でも有りとも理解できます。犯罪を犯しても、基本的には誤りであり酌量の余地を与える。なぜなら、人間は善だからとなります。ですから、前述した法の不備や犯罪者に更生の機会を与えるのも、どんな人間も善だからと穿った見方も可能です。その一方、「性善説」が最終的に説きたいのは、全ては自分次第、絶えず努力をし続ける、皆が善人なので他人と比較するのは無駄ともなります。自分自身が犯罪に巻き込まれたり、騙されるのも、当人の努力が足りなかった、相手を見抜く力が足りないとなります。どんな人も善人になれるが、誰もが善人ではないという”ダブルミーニング”が現代流の「性善説」ではないでしょうか。

性善説の由来

「性善説」の由来は、中国戦国時代の儒学者・孟子(もうし)の教えとなります。「性善説」の前には、善人も悪人もいる説や人の中に善悪がある説などがあったが、孟子は孔子の”忠心説”を発展させ「性善説」を作り上げました。中身は前述したように、人間は先天的に善が備わっているというものです。

性善説の文章・例文

例文1.性善説は解釈が難しいので、一概に皆を善人とするものではない。当人の努力が大事である。
例文2.性善説が現代では機能しないという声もあるが、昔はさらに機能していなかったのが事実だ。
例文3.性善説を信じられる世の中が重要だと、亡き父が語っていたのを思い出した。
例文4.犯罪に対し罰則を厳しくしても、犯罪が減るかどうかは分からないので、それなら性善説を信じたい気持ちも理解できる。
例文5.性善説と比較されるのが性悪説である。

「性善説」について説明するような例文です。

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性善説の会話例

  • 人間は誰もが良い人なんです! 悪い人など存在しません。分かりますよね?

  • どうしたの急に、変な薬でも飲んだの?

  • 何って、性善説の基本ですよ。人間は誰もが善人であるという教えです。

  • それだと半分ぐらいの解釈でしょう。本質的には善だけど、善を忘れると悪にも行くという教えじゃなかった。でも、性善説は解釈が難しいよね。

「性善説」について、男女が会話をしています。

性善説の類義語

「性善説」の類義語には、「性悪説」「玉石混淆」などの言葉が挙げられます。

性善説まとめ

「性善説」は、人間は本質的には善であるという孟子の教えです。一般的には、人間は良い人なので信じるべき、疑わないという風に理解されています。しかし、「性善説」や対比の「性悪説」も解釈が難しく、どのようにも読み取れてしまいます。人間は善だが、中には悪の人もいる。それに騙されるのは、当人の努力不足とも解釈できますし、何よりも犯罪や法の不備について弁護士なども「性善説」の捉え方が違うので、今後も議論を巻き起こしそうです。

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