「ポツダム宣言」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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ポツダム宣言(ポツダムせんげん、Potsdam Declaration)

「ポツダム宣言」は中学校の社会・歴史で習う、あまりにも有名な第二次世界大戦の終結宣言です。その実情は、無条件降伏でありアメリカを始めとした連合国側に全て委ね、そのお陰で現在の日本の繁栄があるともされています。「ポツダム宣言」は歴史認識として理解はしているでしょうが、詳しい中身については、きっとよく分かっていなくないですか? それでは、時代背景などは知っているのに、中身は知らない事が多い「ポツダム宣言」の解説となります。

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ポツダム宣言の意味とは

「ポツダム宣言」の意味は以下の通りとなります。
 (1)日本が大二次世界大戦の全面降伏を受け入れた終結宣言。
 (2)1945年(昭20年)7月、ベルリンのポツダムで発された日本の戦争終結条約。
1945年5月、第二次世界大戦の末期になると、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国は敗戦がほぼ決定し、唯一戦争していた日本の対応や今後についてが、アメリカ・イギリス・中国などの連合国側の課題となっていた。同年7月26日、連合国側の首脳陣がドイツ・ベルリン郊外のポツダムで首脳会談を行い、これが世に言う”ポツダム会談”です。その中身は、日本に対し無条件降伏を勧告するもので、今では「ポツダム宣言」としてあまりにも有名です。日本政府は8月14日、「ポツダム宣言」の受諾を決定し、翌15日に昭天皇から国民発表となり、9月2日にはアメリカのミズーリ戦艦上で”降伏文書”とされる休戦協定に調印し、6年間に及ぶ第二次世界大戦が完全に終結した。
「ポツダム宣言」その物の中身は全13ヶ条からなり、条件受け入れない場合は再度戦争となる、連合国条件を全面受け入れ、領土限定、戦争犯罪人の処罰、民主主義の導入、言論・宗教・思想の自由、基本的人権の尊重などが示唆されています。

ポツダム宣言の由来

「ポツダム宣言」は、ドイツのベルリン郊外にある都市・ポツダムの「ツェツィーリエンホーフ宮殿」でポツダム会談が開かれ、そこで「ポツダム宣言」が発表されました。本来この当時は敗戦国となっていたドイツで会談が開かれたのが、今でも謎とされるが、ヨーロッパという地形で連合国が集まりやすかったのと、偶然にもドイツの今後について話し合うという条件も重なったのが、結果として「ポツダム宣言」が早まったとされます。日本への原爆投下は1945年8月6日と9日になるので、「ポツダム宣言」、原爆投下、全面降伏という流れになります。

ポツダム宣言の文章・例文

例文1.ポツダム宣言は昭の日本をあまりにも象徴している。
例文2.ポツダム宣言を日本政府は苦渋の決断で受け入れたのは、容易に想像できる。
例文3.諸外国は、日本のポツダム宣言容認をどう捉えたのだろう。
例文4.ポツダム宣言での天皇陛下のラジオ放送は、あまりにも有名だ。
例文5.ポツダム宣言を受け入れた日本が、その数十年後には世界第二位の経済大国になるとは到底信じられなかっただろう。

「ポツダム宣言」はその中身から、暗いものや重い例文となってしまいます。

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ポツダム宣言の会話例

  • 恥ずかしながら、ポツダム宣言をすっかり忘れてしまい、この前大恥をかいたよ。

  • そうかー、でも誰でもあるよ。今何歳だったかな? 二十歳ぐらいなら、平成生まれだし、忘れても仕方がないかなー。

  • 勘違いで、別の国際的な宣言がポツダム宣言だと思っていました。まさか、第二次世界大戦の日本の全面降伏だとは…思いもしなかったです。度忘れでもあるけど、普段まったく意識しないから、ねえ。

  • それだけ平和な証明だよ。私は、ポツダム宣言は常識かもしれないけど、忘れても別に問題ない思うよ。

「ポツダム宣言」をすっかり忘れたと恥ずかしがる男性と、それをフォローする女性の会話です。

ポツダム宣言の類義語

「ポツダム宣言」の類義語には、「米英支ソ四国共同宣言」「カイロ宣言」などの言葉が挙げられます。

ポツダム宣言まとめ

第二次世界大戦で敗戦濃厚な日本が、1945年8月14日「ポツダム宣言」の全面降伏を受け入れ、戦争が終結しました。翌15日は、昭天皇から国民にラジオで発表され、現在は「終戦記念日」として毎年日本武道館で「国戦没者追悼式」が行われています。

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