釈迦に説法

この釈迦に説法は、それほど使われる場面が多い言葉だとは言えませんが、意味は確実に抑えておきたい言葉です。

釈迦に説法の意味とは

釈迦に説法とは、自分より遥かに詳しい人に、それを知らずに得意気になって教えてしまうことを表す言葉です。
例として、会社の休み時間に将棋を指した相手に、その手はよくないなどと指導まがいのことをしていたら、実はその相手が学生時代に大会で優勝した経験もあるほどの実力者だったといった場合が、正にこの釈迦に説法となります。

自分でそれなりに知っていると思っていても、世の中、上には上が居るものです。相手に対して何かを教えたり、詳細な説明を行う際には、その相手が自分より詳しい人かどうかを確認してからでないと、この釈迦に説法となり、恥をかいてしまう場合があるということです。

釈迦に説法の由来

釈迦に説法の由来は、仏教の開祖であるお釈迦様に向かって、説法(仏教の教えを聞かせること)を行うくらい愚かなことだという意味からきています。
この言葉を使う場面としては、少年野球にチームに入っている子供がプロ野球選手に対してバッティングを教えるくらい、両者のその分野における知識や実力が離れている場合で、多少の差がある程度では使わない言葉です。

釈迦に説法の文章・例文

例文1.彼にそんなことを説明したら釈迦に説法だよ
例文2.釈迦に説法となるような恥ずかしいことを言ってしまった
例文3.そこまで詳しいとは思わなかったので、釈迦に説法になるところだった
例文4.この分野に関しては、釈迦に説法になることはないだろう
例文5.釈迦に説法になってもいいから、そこだけは詳細に説明しておいて欲しい
釈迦に説法は、やってしまうととても恥ずかしいことですが、どうしても強調しておきたいことであれば、”釈迦に説法だとは思うけど~”と前置きをした上でその内容を話すと、その心配が無くなります。
何かの行為に対して、それを表す為に使うだけでなく、このような使い方をしても構いません。

釈迦に説法の類義語

釈迦に説法の類義語は、「孔子に論語」、「河童に水練」です。
前者は論語の元となった教えを説いた孔子に対し、論語について説明するという行為を例えて作られた言葉で、意味は釈迦に説法と全く同じです。後者も同じく、泳ぎの達人とも言える河童に水泳の練習をさせるようなものだという意味の言葉で、こちらも一緒の意味で使います。

釈迦に説法まとめ

相手が自分より詳しいかどうかは、実際にそれに関して話をしてみないと分からないことも多いでしょう。釈迦に説法は、やってしまうと恥ずかしい行為ではありますが、それを気にし過ぎた為に、一番肝心なことを説明できなかったというケースは避けたいものです。

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