未必の故意

「未必の故意」はあまり耳にすることのない言葉かもしれません。
暴走運転等、ニュースで見聞きするような危険行為を犯罪としてどう捉えるか、という課題の際に取り上げられる概念の一つです。

未必の故意の意味とは

確信を持って犯罪行為に至るのではなく、「もしかしたら犯罪になるかもしれない」と思いつつ行為に及ぶことを指します。未必の故意は、犯罪者の不確かな心理状態を示す言葉になります。
不確かとはいえ、このように故意が認められる場合は、有責性がありますので罪に問われることになります。
刑法上、故意が認められなくても、過失罪の規定がある場合は、その条文によって裁かれます。仮に殺人罪を例とすると、人を殺した際に、故意ではなく過失の場合は「過失致死」になります(過失罪の規定がない場合は、刑法上は無罪になります)。

未必の故意の由来

明らかな犯罪を起こす意図がなくても、「犯罪となり得る結果が予見できる」場合の、有責性の判断として未必の故意が用いられます。確信はなくても、故意と過失の間のグレーゾーンの心理状態での行為を表現し、一般常識から言って犯罪と言える行為を処罰するための概念です。

未必の故意の文章・例文

例文1.この公害の原因は、「危ないかもしれない」と思いながらも、工業廃水を川に流したことにある。あの会社には未必の故意が認められる。
例文2.あれだけスピードを出して車の運転をして、事故を起こさない方が珍しいだろ。ドライバーは未必の故意で有罪だ。
例文3.未必の故意って、口喧嘩から殴り合いになって、相手がケガした場合にも適用されるの?
例文4.まさか、と思ったかもしれないけど、危険なのは分かっていたんなら、未必の故意があると言えるよ。
例文5.そんなところに花瓶が置いてあるなんて、こちら側からは見えないんだから、ぶつかって壊したって、器物損壊の未必の故意があるなんて言えないよ。
「行為者に故意があったかどうか微妙」の日常トラブルの解決の時に、予見可能性や未必の故意の考え方が役に立ちそうです。

未必の故意の類義語

未必の故意と比較されるのが「認識ある過失」です。
未必の故意と同様に、犯罪行為となり得る結果が発生するとの認識があったとしても、認容していなければ故意と認められないとするのが「認識ある過失」になります。
この双方の線引きには、認容説と蓋然性説と2つの解釈があります。

未必の故意まとめ

明らかな故意があるとは言えないけれども、「起こってもしょうがない」という心理状況で、かつその行動による犯罪結果を未必の故意と呼びます。
特に昨今では、未必の故意は交通事故の原因となるスピード超過やあおり運転の行為者に対して該当する場合が多いようです。

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