安田善次郎

安田善次郎は安田財閥の祖であり、1876年に第三国立銀行を開業した。1880年には安田銀行(旧:富士銀行・現:みずほフィナンシャルグループ)を開業。「公金の安田」と言われる程、公共性の高い事業(鉄道・築港)に資金提供をする事で政府や自治体から信頼を厚くするなど、先見の目を持ち、高い社会性と公共性を兼ね備えた人物であったと言われている。安田銀行を創業したのが安田善次郎、そして第一国立銀行(のちの第一勧業銀行)の設立を渋沢栄一が、長い年月を経て、みずほフィナンシャル・グループとなっている事は周知の通りである。

安田善次郎の生い立ち

1838年に富山藩に足軽の子として生まれる。20才の時に江戸に奉公にでて、鰹節屋兼両替屋に勤めて、実務とノウハウを吸収していき、25才の時に独立。乾物と両替を扱う安田商店を開業。その後、火災によってお店を焼失する不運な出来事もあったが、着実に商売を大きくしていく、両替商として盤石の地位を築き、1876年の第三国立銀行の開業へとつなげていく。また北海道に初の私鉄・釧路鉄道を通し、鉱山開発にも乗り出した事で、北米への輸出拠点として釧路港を整備し、特別輸出港にしているする事で釧路地域の地域産業を発展させ、その後も多くの金融系(現:損保ジャパン・現:明治安田生命)などを創業し、その金融事業へ乗り出す為の資金は鉱山開発や輸出によって捻出されたと言われている。

安田善次郎の人物像

自ら金融業が天職であると考え、銀行・損害保険・生命保険などの金融業を中心として財閥を築いた。その一方で「公金の安田」と言われる程、公共性を重視、将来の日本の為になりうる事業であるかどうかという点を考慮して、資金提供を行っていた。1892年には日本銀行設立にも参画して理事に就任して、銀行家として内外問わず高い評価と実績を積んでいった。また1904年には未曾有の危機に陥った第百三十銀行を救済する事で、国家財政を救うなど公に尽くした点が現代でも高く評価されている。

安田善次郎の偉業

偉業1.安田財閥の祖
偉業2.富士銀行・損保ジャパン・明治安田生命の創業
偉業3.第百三十銀行救済による国家財政を救う
偉業4.東京大学・安田講堂建設の寄付
偉業5.近代日本経済発展の立役者

安田善次郎の作品や名言

安田善次郎の有名な言葉として、安田商店を開業した際の誓いが有名です。

一、独力独行、決して他人を頼らぬこと、一所懸命働くこと。
二、嘘を言わぬこと。曲ったことをせぬこと。正直に世を渡ること。
三、生活費、小遣銭などはすべて収入の八割以内とし、二割は非常の時のために貯蓄すること、
また住宅には身代の1割以上の金を決して使わぬこと。

安田善次郎の生き方、考え方、質素な生き方が表れています。
また後年になって、安田善次郎の生き方や偉業をまとめた本もいくつも出版されています。

安田善次郎のまとめ

天職である金融業にひた走り、質素倹約の生活の中で見込みのある事業には惜しむことなく資金を提供する事で、数多くの企業の育成や成長を支えた銀行家です。産業発展の礎を作り、近代日本経済の発展に大きく寄与しました。
また数多くの社会活動も行っていましたが、それを公にする事は最後までありませんでした。東京大学の安田講堂や日比谷公会堂、千代田区の麹町小学校などは安田善次郎の寄付によって造られています。

この記事を読んでいる人に人気の記事