トーマス・パーが育った国

トーマス・パー(Thomas Parr)

長寿大国と言われている日本ですが、人は最高何年生きられる生物なのでしょうか?
医学の発達に加えて食生活も改善され、人間の寿命はどんどん伸びてきてる印象が強い現代。
アメリカのアルバート・アインシュタイン医科大学の研究チームがネイチャーに人間の寿命には限界があるとの研究結果を発表しましたが、115歳を超える人は今後も出てくるかもしれないと言われています。
今回はなんと152歳まで生きたと伝えられている「トーマス・パー」について解説します。

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トーマス・パーの生い立ち

「トーマス・パー」は1483年2月イングランドのウェスト・ミッドランズ地方のシュルーズベリー近くの小さな村で生まれたと伝えられています。
長寿で有名なので若い頃の話しはあまり残っていませんが、彼が17歳の頃、陸軍に入隊したと言われています。
そして35歳からは父親が他界してしまったので農耕と母親の世話をしながら平穏に暮らしていました。
そしてこの彼が小作農であったからこそ一定期間毎に行われた「借地の契約更新の書類」が残っていた為、彼の長寿が伝承されることとなるのです。

トーマス・パーの人物像

彼は長寿で有名ですが、他でも色々と驚かされる人生でした。
彼の初婚はなんと彼が80歳の時。
そして更に彼は奥さんとの間に息子と娘を授かるのです。
残念なことに二人の子供は生後間もなく他界してしまいましたが、1950年代に80歳を超えてから二人も授かったというのは凄いことでしょう。
更に更に彼は105歳の時に村一番の類まれな美人であったキャサリン・ミルトンと不倫し子供を授かりました。
当時、宗教的に問題とされ教会の前で懺悔させられたとも伝えられています。
ただ、これで懲りることもなく妻が亡くなってから10年後122歳の時に再婚し、また一児を授かったのでした。
彼は長寿として有名ですが、人物像を語るとなるとこの辺りの凄さは外せないのです。

トーマス・パーの偉業

偉業1.彼は80歳代で二児、105歳で一児、122歳で一児授かっている。
偉業2.1635年152歳の時、チャールズ一世に宮廷に招かれた際にはその道中、長寿にあやかろうとする群衆に囲まれ辿り着けないのではと思われるほどだった。
偉業3.その後イングランドの王家から豪華な衣食住すべてを与えられた生活がスタートした。
偉業4.スコッチ「オールドパー」の肖像画は「トーマス・パー」でピーテル・パウル・ルーベンスが宮廷で描いたもの。
偉業5.ウエストミンスタ寺院に埋葬された彼の墓碑には「10代の英主の御代に生きたり」と記されている。
彼は152歳で亡くなったとされていますが、この時に医師が行った検死によると身体には一切の異常がなく死因は食生活の急激な変化、暴飲暴食だと報告されました。
王家に招かれず、そのままの生活を維持していたら更に長生きしていたのかもしれません。

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トーマス・パーの作品や名言

名言ではありませんが、彼は長寿の秘訣を質素な暮らしと菜食主義だと語っていたとされます。
彼の最後を考えると、妙に納得がいきますね。
また、彼の長寿は国内外で大変に有名になっていたため、先述のルーベンスだけでなくヴァン・ダイクも肖像画を描いています。
ルーベンスが描いた肖像画は1870年代競売にかけられた際には数十万ポンドの値が付いたそうです。
その他にもイギリスやアイルランドの詩人・小説家が作中で言及しています。

トーマス・パーまとめ

冒頭でふれた、ネイチャーに掲載された人間の寿命の限界を考えると彼が152歳だったかは分かりません。
しかし彼がウエストミンスタ寺院で詩人のコーナーと呼ばれる一画に、シュークスピアやルーベンスと共に埋葬されていることや幸福の記念メダルが発行されていたことを考えると、当時から「長寿の象徴」として人気があったことは間違いないでしょう。

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