「髀肉の嘆」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

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髀肉の嘆(ひにくのたん)

「髀肉の嘆」とは「実力を発揮する場がなくなり、毎日が空しくて退屈に過ぎる事」です。要するに、仕事が生き甲斐な人からその仕事を奪ってしまうと、やる事が何もなく悲観に暮れてしまいます。そんな状況を表している「髀肉の嘆」について、解説をさせて頂きます。

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髀肉の嘆の意味とは

「髀肉の嘆」の意味は以下の通りとなります。
(1)実力や手腕を発揮する機会に恵まれず、時間だけ空しく過ぎていくのを嘆く。
(2)戦が無く内ももの肉が肥え太ってしまった嘆きから、手腕を発揮する機会がなく退屈な事。
(3)四字熟語「髀肉之嘆」の事で、「脾肉之嘆」「髀肉之歎」「脾肉之歎」とも書き同義。
”髀肉”は「太もものぜい肉」「太ももの内側についたぜい肉」、”嘆”は「溜息をついて嘆く」で、太もものぜい肉を見て嘆くのが「髀肉の嘆」です。その背景には、中国三強時代において戦場に出る機会が無くなった武将・劉備は、これまで引き締まっていた体(太もも)に贅肉が付き始めたと嘆いたのが「髀肉の嘆」の始まりとされています。よって現在では、無駄な時間を過ごすや退屈、或いは価値を発揮できない、実力を証明できないもどかしさに近いニュアンスがあります。使い方としては、「髀肉の嘆を抱く」「髀肉の嘆を漏らす」「髀肉の嘆をたれる」といった風になります。

髀肉の嘆の由来

「髀肉の嘆」の由来は、古代中国の群雄割拠を描いた興亡史「三国志」の蜀志・先主伝・注となります。

髀肉の嘆の文章・例文

例文1.職場で仲間外れにされ髀肉の嘆となったので、家に帰ってから憂さ晴らしで晩酌の量が増えてしまった。
例文2.あれだけ不満だらけで仕事を一刻も早く辞めたかったのに、いざ退職してからは時間だけ人一倍あるのになぜか髀肉の嘆で、遊びや趣味で過ごそうと思えないから不思議だ。
例文3.部下が優秀なのは仕事が楽で良いのだが、髀肉の嘆を吐露する自分がいて、やはり忙しい方が性分に合っていると実感した。
例文4.コロナ禍で特に飲食店の料理人は髀肉の嘆を抱いているのではないのか。
例文5.往年の名選手も現役引退すると、脂肪がついた体を見て髀肉の嘆な心境を抱くのだろう。
退屈や時間が過ぎるとして「髀肉の嘆」を使った例文となります。

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髀肉の嘆の会話例

  • あー、今年も町内のカラオケ大会が中止だよ。

  • それはコロナ禍だからね。仕方がないわよ。

  • だけど、俺はカラオケだけが生き甲斐なんだよ。それを取り上げるなんて、くそーコロナが憎い。

  • 来年はワクチン接種も終わって、また開催するわよ。だからそんなに髀肉の嘆にならないでよ。

コロナで楽しみにしていたカラオケ大会が中止されたという夫婦の会話です。

髀肉の嘆の類義語

「髀肉の嘆」の類義語には、「髀裏肉を生ず」「驥服塩車」「大器小用」「陸へ上がった河童」「木から落ちた猿」などの言葉が挙げられます。

髀肉の嘆の対義語

「髀肉の嘆」の対義語には、「適材適所」「水を得た魚」「兎の登り坂」「本領発揮」などの言葉が挙げられます。

髀肉の嘆まとめ

「髀肉の嘆」は実力を発揮する機会がなくなり嘆いている状況を表現した言葉です。時間を無駄にして、遣り甲斐もなく毎日が退屈になっているので、どこか現代の仕事を奪われた働き盛りにも通じるところがあるのではないでしょうか。由来とされるのは、屈強な肉体が自慢だった古代中国の武将が戦から離れると己の体には無駄な脂肪が増え、それを嘆いたのが始まりとされます。

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