「文武両道」の使い方や意味、例文や類義語を徹底解説!

B!

文武両道(ぶんぶりょうどう)

「文武両道」とは「勉学と運動の両方であり、またどちらも優れている事」です。勉学、或いは運動の片方だけ優れていても十分凄いのですが、やはり両方が人並み以上だと憧れてしまいますよね。ある種の才能であり生まれ持ったエリートのように感じてしまいます。そんな優れた人物の条件と言えば誤解もありますが、「文武両道」の解説をさせて頂きます。

[adstext]
[ads]

文武両道の意味とは

「文武両道」の意味は以下の通りとなります。
 (1)学問や文芸と武芸の両方から転じて、勉学とスポーツの両面でありまた両道が優れている事。
 (2)勉強とスポーツの両方が優れているや得意とする事。
 (3)学問と運動のどちらかだけに偏らず、両方を得意とするべきという教え。
 (3)「文武二道」も同義。
”文武”は「文事と武事」「学問と武芸」「文化的と軍事的」「勉学と運動」、”両道”は「二つの街道」「二つの方面」で、簡単に言えば「勉強と運動のどちらも得意」「学問と運動の両方」となるのが「文武両道」です。かつての戦争を肯定する時代の名残がある言葉でもあり、”文武”の「武事」には「戦に関する技術」といった意味合いもありますが、現在はそれを運動やスポーツと解釈するのが一般的です。また、「勉学と運動」だけで留めるか、さらに発展させて「優れている」とまでするかは前後の文脈やその都度次第となりますが、これも最近は「文武両道」=「勉学と運動が優れている」とするのが多いです。さらに深掘りすると、この言葉は学問と運動の片方だけ優れていても半人前で、両方を得意として初めて一人前であるとも解釈されます。現在は「一芸に秀でる」という言葉もありますが、少なくてもある程度の年齢までは学問と運動の両方が得意とする方がより優秀な人物の理想的な姿ではないでしょうか。また、使い方としては「文武両道に長ける」「文武両道に秀でる」という形が有名です。

文武両道の由来

「文武両道」の由来は中国前漢時代の歴史書「史記」となります。

文武両道の文章・例文

例文1.エリート一家で生まれ育ったので家族全員が文武両道だが、なぜか落ち零れな自分だけはアニメ・ギャンブル・酒を愛する三冠王になってしまった。
例文2.文武両道を自負するヤクザの兄貴はその才能を地上げや倒産処理にケンカで役立てている。
例文3.文武両道なアイドルやモデルはさらに顔面偏差値も高いとなるので、神様は本当に不平等なものだ。
例文4.大谷選手や藤井竜王などは本当のところは知らないが、その栄光の数々から絶対に文武両道に決まっている。
例文5.美男美女で文武両道な二人が結婚をしたら、完璧すぎて頼むから別れてしまえと祈ってしまう自分の卑屈さが情けない。
様々な場面で「文武両道」を使った例文です。

  • [adsmiddle_left]
  • [adsmiddle_right]

文武両道の会話例

  • ところで、子供の頃は勉強や運動はできた? 俺はまったくダメだったよ。

  • 私はこう見えて文武両道だったのよ。成績が良くて運動もできて、だから先生からの信頼も厚かったの。

  • 本当に? 嘘でしょう。

  • 嘘に決まっているじゃない。勉強もスポーツも苦手だったから、同じ匂いがするあなたと結婚したのよ。

夫婦揃って勉強と運動が苦手だったという会話内容です。

文武両道の類義語

「文武両道」の類義語には、「文武兼備」「右文左武」「左文右武」「才色兼備」「天から二物を与えられた」などの言葉が挙げられます。

文武両道の対義語

「文武両道」の対義語には、「浅学非才」「無芸大食」「運動音痴」「半人前」「一知半解」などの言葉が挙げられます。

文武両道まとめ

「文武両道」は学問と運動の両方の事であり、またその両方が優れているという意味です。現代人だけでなく大昔から、学問と運動の双方を得意とするのが理想だったと窺い知れます。スポーツ選手などでも実は学業の成績が優秀な人が多く、逆も然りで優秀な頭脳を持ち合わせていると運動も得意という事も多いようです。

最新の記事はこちらから